サイトリファクタリング

April 20, 2009

4年間つきあってきたウェブサイトをリニューアルしました。でも、それほど変わりませんでした。ただ、よりストイックになったと思います。少なくともそういうコンセプトで取り組みました。過去ログが移行出来ていませんが、追々移行していく予定です。ご意見ご要望などございましたらメールにてお知らせください。今後とも宜しくお願いいたします。

うなぎロスコ

April 12, 2009

マーク・ロスコ 瞑想する絵画に行って来た(お、めずらしく日記風な書き出し!)。日曜日にバイクで行こうと思っていたら、タイミング良く友人から「そろそろツーリングの季節だね」なんてメールが来るもんだから「日曜日に美術館に行くけど、行く?」って誘ったら即決で行くとの返事が来たので急遽2台でのツーリングとなった。前日までの暖かさを少し忘れたような肌寒い朝。築地のスタバで待ち合わせ。コーヒーを飲みながらの作戦会議で昼食はうなぎに決まった。待ち合わせるなり昼食の打ち合わせをしてるってどうよ?というのは置いておいて、錦糸町から首都高に乗り千葉の佐倉ICまで。道路は空いてるし、ちょっと肌寒いけどツーリングには良い感じの気候で肩の力を抜いて運転が出来た。

佐倉に到着。うなぎ屋を目指す。グルッとまわって到着。一軒家。入り口がわからない...。坂道の途中に発見。玉家。ちょうどおばあちゃんの家に来た風な感じの玄関です(注: うちのおばあちゃんちはこんな立派な玄関はない)。
玉家の玄関
通された先は2階の一室。か、貸し切りですか...一部屋。
玉家の一室
こりゃまた調度品の数々。
玉家の玄関
趣のあるお庭(“庭”じゃなくて“お庭”と言いたくなる)。
玉家の玄関
お店の方がお茶を入れてくれた(まさに旅館状態な)ときに友人が何の気無しに「ここっていつからあるんですか?」と聞いた。お店の人、何の気無しに「だいたい120年くらい前ですかねー」。...ひゃ、120年?!「明治からですから...」とんだ時空の狭間に入り込んでしまったものだ。その後、室内や廊下などを撮影。上うな重が出てくるまでバタバタ。

さて、上うな重はというと、これまたフワっとしており、口に入れるとほろほろとくずれ、上品なお味と香り。美味しいうなぎというのが少しわかったような気がいたします。ってなんだか上品な文体になっちゃってるし...。いかん、いかん。グルメレポートじゃなかった。ある程度下調べをしたとは言え、思いがけず歴史のあるお店で美味しい昼食をいただき、先ずはひとつツーリングの醍醐味を満喫したのです。

その後10分ほどバイクを走らせ目的の川村記念美術館へ到着。なんとまぁ、広大な土地に広がる池。
玉家の玄関
そしてその場所に似つかわしい美術館の建物。
玉家の玄関
時間ピッタリ。今回は、ガイドスタッフによる全館ガイドツアーに参加したかったので、14時に、到着する必要があったのです。

さて、ここからが本題です。今回何故にロスコを観に行きたかったか。それはロスコの絵、というよりも、絵画全体に、いや、美術全体を通して、自分が心の底から“良いと思っていない”、もしくは“その価値を理解出来ていない”という事実を払拭したかったからです。音楽に関しては、好き/嫌い、良い/悪い、を自分の価値観で述べることができます。しかし美術作品に関しては、理解できていないことは明白で、それだからこそ、自分なりの評価ができない、となっていると思うのです。そんな折、“なんだか良さそうだぞ”と思えるこの企画展を知りました。そして折角なので、ガイドスタッフの案内とともに観て回ろうと思った次第なのです。

結論としては、スゴかったです。良いか悪いかはよくわかりません。しかし、ロスコ作品に囲まれたあのだだっ広い部屋は異空間であること間違いなしです。ロスコ自身が、自分の作品が展示される場所にこだわった理由も非常によくわかりました。包まれました。ロスコに。ただ美術作品だけを見るのであれば、どこに置いてあっても一緒なのかもしれません。しかし、その作品の意味を理解した上で展示している“美術館”という場所で観ることは、非常に有意義なことなんだと、今さらで大変申し訳ないのですが、わかりました。今まで何も知らずにごめんなさい。

そして、もうひとつ。ボクの心をとらえて離さなかった作品がここにはありました。バーネット・ニューマンの「アンナの光」です。階段を上って、ニューマン・ルームの入り口が見えると同時に迫ってくる“赤”。階段を一段のぼるごとに迫る“赤”。部屋に入ると全身に迫ってくる“赤”です。しかし、この作品の何が一番良かったか。それは“ジップ”の存在です。前出のリンク先にあるニューマンのページの解説を読んでいただけるとわかるかと思いますが、このジップの存在が、イコールこの“赤”の存在だと思えるのです。私は、ここにニューマンの“意志”を感じました。カンバス全体が“赤”なのではなく、カンバス内の“ある場所”から“ある場所”までが“赤”で、その横の白い部分は、その先の壁面と同化するのです。“力強いもの”の存在と、その周りにある“永遠の存在”を感じました。

いつも思うことですが、美術館に行くとどうしてこんなに疲れるんでしょう。歩くスピードもゆっくりだし、距離もそれほど歩いている訳ではないのに。今回、ちょっとその理由がわかりました。美術作品に圧倒されているからなのだと思います。作家の思いを、全身で受け止めているからなのだと思います。この疲れが心地良いか、心地良くないかは、観る作品と、観る人の気持ち次第なのかもしれません。

最後に、帰る途中デニーズに立ち寄ったときの会話です。「なんだか疲れたねー」「でも楽しかったねー」「ロスコ良かったねー」「そういえばうなぎ食ったね」と、結局はうなぎの話で締めくくったツーリングでした。

過去がミライへ逆回転

April 05, 2009

“ALWAYS 三丁目の夕日”という映画があった。原作はビックコミックオリジナルで読んだことがあるけれど、映画は観ていない。でも、予告編や番組の特集などで何度か映像は観ている。昭和30年代の下町の風景がCGで再現されている映像だ。こういう古い映画で、しかも下町が舞台になっているにも関わらず、CGがふんだんに使われていることに非常に違和感を覚えた記憶がある。ただその映像の中で、例えCGだとわかっていてもちょっとグッと来た場面、というか映像がある。それは、建設途中の東京タワーの映像だ。どこか違和感のあるCGは置いておいて、物語の中だけでなく、昭和30年代を生きた人々はほとんど、建設途中の東京タワーを間近で、もしくはテレビなどで見ていたと思うと、非常にうらやましく感じた。「なんて歴史的な瞬間に立ち会っているのだろう」と。その瞬間に立ち会っていたいと思った。いや、ちょっと待てよ...。

墨田区押上に建設中の“東京スカイツリー”があるじゃないか!現代でも、歴史的な瞬間に立ち会うことはできるのだ。過去の“歴史的な出来事”という言葉に惑わされているだけなのだ。今この瞬間は、瞬間という言葉以上の早さで過去になり、そしてその先の未来もが、ものすごい速さで過去になっていくのだ。今しかない。さあ行こう、押上へ。

と、いうことで行ってきました。押上へ。4月5日、日曜日。折角なので自転車で。押上駅付近からの遠景です。

建設中の東京スカイツリー遠景

この写真には写っていないけど、写真向かって左側に、堤防があって、そこの上に子供が乗って遊んでいました。建設中のタワーを見ながら。リアル三丁目の夕日です。

思ったよりも小さな感じでした。でもこれから、想像出来ないくらいの大きさになっていくんだろう。今クレーンがあるところより、もっともっと空高く、タワーがそびえ立つのだろうと思うと、なんだかワクワクしました。この空の一部に、未来がそびえ立つのかと。

建設中の東京スカイツリー近景

片道1時間の自転車ツーリング。帰りがけに東京タワーを見ると、行きに見たときよりも小さく感じて、そして鉄骨の数も、改めて見ると全然少なくて、こんなにもシンプルな構造で、こんなにも高いタワーが建っていることに、驚きを感じました。そういえば押上のタワーは、鉄骨いっぱいだったなと。これからどんなタワーが出来上がるのか。絶好のツーリングポイントを見つけた喜びと、この時代に生きている幸せを見つけた喜びで、それまでの疲れを忘れ、ペダルが少し速くまわった日曜日の夕方でした。

アレ以来の衝撃!

April 02, 2009

人生にはバランスが重要だ。なんて書き出したけれど、それほど大げさな話ではないのであしからず。

ご存知の読者も多いと思うが、最近私は自転車にはまっている。自転車生活を始めてまだ3ヶ月だと云うのに、2台目の購入まで検討しているほどだ。話は少し変わって、一昨年の秋あたりから昨年の秋あたりまで私は水泳にはまっていた。それが今ではほとんど行っていない。そもそも動機がダイエットだっただけに、代わりのもの、というか、代わりになるかもしれないもの(もちろんダイエットの...)が見つかったら、興味を失ってしまった。いや、それは言いすぎかも...。水泳は楽しい。ダイエットという話は抜きにしても、水の中で体を浮かばせているだけでも非常に気分が良い。だからはまったんだと思う。なのになぜ、行かなくなってしまったんだろうか?今回のコラムではそこを考察したい。

さて、話はまた変わって、私は20代のころ音楽というものにはまっていた。音楽と言っても、主にバンド活動と思っていただいたほうがここではわかりやすいだろう。バンド活動というのは、往々にして、インドアな行動である。曲作りや、スタジオでの練習、録音、果てはライブまで、ほぼ全て屋内でのことである。もちろん、たまには屋外でライブを行うこともあるが、割合的に言ったら少ないだろう。そのころの私は、インドア派だった。アウトドアには興味がなかった。ある意味嫌悪感さえあった。しかし20代後半に音楽から離れ、30代になると、徐々にアウトドアに対する興味が出始めた。今まで経験してこなかった、いや、経験することを避けていたことに対するコンプレックスなのだろうか?積極的に取り組んでみようと思った。キャンプ、バーベキュー、海水浴。普通の人なら、一般的な30代なら、何度か経験しているであろうイベント。そんなイベントに積極的に参加した。正直、楽しかった。それは好き嫌い以前に、“新しいこと・今までに経験していないことをしている”という楽しさだった。そんな経験をしながら30代の前半が過ぎ、水泳に出会った。新しい経験の延長線上で、しかも今までにないほどの楽しさで、はまった。

さてさて、話をさらに変えてみよう(意図的に...)。20代後半から、違うことをやりたいと思い、仕事を始めた。20代のころだから、完全にインドア派。そして仕事もインドアな仕事を選んだ。誤解をされると困るので一応言及しておくと、私は今の仕事が大好きだ。と、いうか、仕事とは思っていない。周りの人には「趣味です」と言うようにしている。その仕事を今まで続けている訳だから、20代のころのインドア生活が今でも続いていると言っても過言ではない。昨年の秋までは、水泳と云う趣味まであって、なんて幸せなインドア生活なんだろう。と、まとめることもできた。だがしかし...。

自転車に出会って変わった。外の空気、風、太陽の温かさ、冬の寒さまで。なんて気持ちが良いんだろう。本当の意味で、アウトドアの素晴らしさを、日常的に感じることができた。キャンプやバーベキュー、海水浴などは、非日常なのだ。自転車を乗り始めてから私は、雨の日以外は自転車で通勤をしている。自転車で通勤をするだけで、アウトドアの素晴らしさを感じられるのだ。本当に素晴らしい。水泳に行かなくなった理由、それは水泳と云うスポーツが、自分にとっては非日常だからなのだと思う。もちろん、非日常なことで気分転換を行ったり、新しい体験をすることは重要だ。しかし、自分が“非日常”と思っていることを、ただ“日常”に持ち込むだけでは、長続きはしないのだ。

先にも述べたように、私の仕事はインドアである。そして、それは20代のころと同じだ。ただひとつ。漠然とだが言えること。20代のころは、バランスが悪かった。没頭しすぎて、のめりこみすぎた。冷静な判断が出来ていなかったかもしれない。もちろん、没頭することや、冷静な判断が出来ない状態で打ち込むことも必要だ。特に若いときには。そしてそれが良い経験になる。ただ30代になった自分としては、もう少し冷静に自分を見つめる必要がある。そのためにはバランスが必要なのだ。インドアな仕事だからこそ、一歩引いて自分を見つめるための時間。それがアウトドアな時間なのだと思う。そしてその時間を、“仕事前”と“仕事後”にあてられる、自転車での通勤。日常の中に入り込んだアウトドアな時間。仕事とのバランス。インドアとアウトドアがちょうど良いバランスで繰り返される生活。自転車生活は、私にそんなバランスを与えてくれたのだ。ますます仕事が趣味になり、その仕事の行き帰りも趣味に。そして週末にツーリングに行くのも趣味。趣味に生きる人生というのは、老後の楽しみではないということがわかった、30代の半ば過ぎ、花見の季節であった。

Author: Shin Takeda
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