大人になればなるほど自分が子供だということに気づかされる
April 11, 2014
最近何人かの友人と話していて昔の自分と今の自分との違いを実感することが何度かあったのでここに書き留めておこうと思います。
基本的に自分は自分の本心や今おかれている状況を表には出さないタイプの人間だと思っているので以前であればこのような場所に自分の本心を文章として表現することはありませんでした。自分の意見を表現(表明)することは嫌いではないのでその意味ではここにもいろいろ書いていますが今日書き留めておこうと思うのはそれとはちょっと違った意味合いのものです。自分の感情的なものなのでその違いは伝わらないかもしれませんが…。
友人と話していたときというのは別に相談事をしていたというほどの大げさなものではないのですが何となく友人と話していて素直に自分の本心を話せているなぁと感じてふと不思議な気分になりました。以前はもっと構えていたと思うのに。
自分は対人関係で悩むということはあまりありませんが正直他人と積極的に交流を持ちたいタイプの人間ではありません。でもそれではいけないと思い自分から積極的に取り組むようにはしていますが好きでしているのではなくあくまでも義務感にかられて取り組んでいるという感じです。もちろん人によっては腹を割って話すこともありますし積極的に話しかけて良かったと思うことも稀にあります。しかし本心は出していますがもちろんそれが全てではありません。出したくない本心は出していません。それが最近は少しずつ今までよりも少しだけ多めに本心を出せるようになって来た気がしています。
話すと楽になるとかそういうのはありませんが自分の心の壁が取り払われている感覚はあります。でもそれが良いことなのか悪いことなのかはわかりません。恐らく良いことなのでしょうが。
本心を相手に伝えると何が変わるかと言うと“相手と自分の違っているところ”が明確になります。
そして最近では他人の意見を聞くときの自分の聞き方も変わってきているような気がします。もちろん相手にもよりますが。
これまでは相手に何かを言われても“いち意見として聞く”のみでしたが最近は“素直に受け容れる”ことが出来ているような気がします。素直に受け容れることが出来ているせいか自分の考えがとても子供染みているように感じることも多々あります。話をしている最中に「お前は子供か!」と自分に何度も突っ込みを入れたくなるときもあります。
誰もが自分の中に子供な部分を隠し持っているのではないでしょうか。その子供な部分こそが本質でありその本質の違いが自分と他人との違いの根本的なところなのだと思います。今まではその本質の部分を表に出していなかったことに気づきました。表に出さないことはそれはそれで自分を守る役割として必要十分な効果を得られていた訳だけれどもそれを出さないことで本質的なところでは他人と関わりを持てていなかったとも言えます。
“大人になればなるほど自分が子供だということに気づかされる”というのは別の言い方をすると“大人になればなるほど自分の本質を見ることができるようになる”ということなのかもしれません。
ピカソは晩年になって「やっと子供のように絵が描けるようになってきた」と言ったそうです。素直に表現をすることの難しさを的確に捉えている言葉だと思います。大人になればなるほど自分が子供だということに気づかされるのは良いことなのかもしれません。
この文章。読んでいる人にとっては何も伝わらなくて退屈な時間を過ごさせてしまったかもしれませんが割と自分がつまらない人間だということを包み隠さず<ちょっとだけ>さらけ出した文章なので何卒ご了承ください。
春ですね。
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