ブログを書くということ、その2

July 30, 2009

前回のコラムでは、そもそも自分が何でブログを書き始めたのか?そして何でこれからも書き続けるのか?ということを書いてみました。どんどん個人的な話になって行く気がしてしまうのですが、コラムを書いたあとにいろいろ考えてみたので続きを書いてみようと思います。この文章を書いている時点ではノープランなのでどうなるかわかりませんがおつきあいいただければ幸いです。

最近、古い知り合いがブログを始めたという話をよく聞く。もちろん即行アクセスしてRSSリーダーに登録。知り合いだもんだから、その人の顔を思い浮かべながら楽しく拝読させていただいている。中には「え?!この人がブログ始めたの?」なんて意外な人もいて、ちょっと複雑な気持ちになったりもする。

複雑な気持ちになる人。それはどんな人かと言うと、例えばスゴイ憧れていたロックミュージシャンの人とか。その人は「ロックだぜ」なんてことは言わないけれど、ファンからしてみればそんな感じの人だったもんだから、「え?!あの人がブログ??」ってなる。

もちろん誰であろうとも、日々新しいことにトライし、成長することは素晴らしいことである。だから“イメージが違う”という理由で嫌いになることはない。でもやっぱり心のどこかで“あの頃のままで居て欲しい”なんて思ったりもする。既に自分は“あの頃の自分”ではないのに...。

至極個人的なことを何のためらいもなく書けてしまうのがブログの魔力である。そんな魔力があるから、ブログを読んでいると「あー、やっぱりあの人も普通の人なんだ...。」とかいろいろ考えさせられる。「見なきゃ良かったのに...。」なんて思ってももう遅い。RSSリーダーには登録されているのだ。一度登録すると外すのに気が引けるツール、そう、それがRSSリーダー。なんか話がコロコロ変わるが、私はGoogle Readerを使っているので新着記事の中に紛れて憧れの人のブログが表示されていたりする。自分の支離滅裂さを見せつけられている気分だ。オタクっぽい話題の隣に表示されていたりするからなのだ。

と、ここまで書いて、自分のブログも同じだと気がついた。

誰もがそれぞれの時間を生きており、その時間と時間がすれ違った瞬間だけが同じ時間を共有できる。同じ時間を共有していない者同士は存在していないも同然。と言っては言い過ぎだが、共有したその時間を継続させたいか?させたくないか?ただそれだけ。継続させたいと思ったからこそ、今もブログを読んでいるんだと思う。例えお互いが、昔と変わってしまっていても。

知っている人に対しても、知らない人に対しても、今の自分が一番魅力的だと感じてもらうために、日々を生きて、そしてその証を残すために、ブログを書くのだという気がします。

Author: Shin Takeda
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