とりとめのない疑問で梅雨を乗り切る

June 29, 2009

宇宙の始まりは“ビッグバン”という話を聞くと誰しも「じゃあその前は何があったの?」ということになって、一般的にはやっぱり「何もない」というのが答えのようだけれども、それってよくわからないよね?それともう一つ。物質の最小単位は何なの?と言えば一応“素粒子”ってことになってるけど「それじゃあ素粒子は何で出来てるの?」ってことになって、これもよくわからないよね?

ビッグバンを起こしたパワーは何なのか?ということと、素粒子を構成しているパワーは何なのか?ということの答えは、たぶん同じなんだろうね。そうやって考えると、全ての答えは同じなんじゃないかと思えてくる。だって、(一般的に)この世の中で一番大きな物質に対する最大の疑問と、一番小さな物質に対する最大の疑問が同じなんだから、それ以外はその他大勢にくくられても仕方ないような気が...。まぁ、強引だけど。

そうやって考えると、人が死んだらどうなるのか?ということについても同様で、人間の誕生を遡って行くと宇宙の誕生に行き着くわけで、始まりが解れば終わりも予想ができるような気がするからこれらの科学的・物理学的・その他諸々学的な謎が解けたときには、同時に答えが出るのかもしれないと思う。

何でこんな話をしているかというと、自分の一番古い記憶が“死んだらどうなるのか解らなくて泣きながら親を問いつめた”ということもあって、いまだにこんなことを考えるのです。たまに。という告白。

自分が死んで何が一番怖いかというと“自我がなくなること”なのかもしれない。自我はなくなっても、意志はなくならない。意志は自我の成果物で、自我がなければ意志は出来上がらない。成果物がなくなるのは悲しいことだけれども、自我がなくなればその成果物さえも作り出せなくなってしまうのでもっと悲しい。要は作り出したい、作り続けたいのだと思う。

なんだか当たり前のことのようだけれども、人間を含め、この世の中に存在している動植物全て、子孫を残す(種を存続させる)ように出来ている。しかしこれは“子孫を繁栄させる”ということとはちょっと違う。ある特定の種が繁栄すれば、それとは違う種が衰退する。しかしそうやって、繁栄と衰退を繰り返しながら宇宙誕生から今までの時が流れて来た。宇宙全体で、持続させて来た。もしかしたら自分も含め、持続させられてきたのかもしれない。繁栄と衰退の繰り返しは持続させるための手段で、我々もその手段の一部だと思う。

それじゃあなんで持続させなければならないのか?という疑問が次に浮き上がってくる。「それは始まってしまったからだよ」という神の声的なものが聞こえてくれば納得しちゃうんだろうけど、さすがにボクには聞こえて来ないので、また考える。

“持続させる”ことが目的なのか、ただ単に“持続している”だけなのか。でもこれがもし“意志”なのであれば、我々を含めてこの世に存在するもの全てが“成果物”ということになり、その成果物を作り出した“自我”が存在するわけで、それこそ“神”ということになるのだろう。でも結局、「じゃあ神様は誰が作ったの?」ってことになるわけで、「それは人間だよ」って答えたとするといわゆる無限ループに陥る。

そもそも“無限ループ”って言っても“無限”なんて概念こそがおかしくて、“無限”があるなら“宇宙は無限”という理論も存在し得るわけで、普段「それやると無限ループに陥るよ」なんて気楽に使ってるけど、今度から使う時は宇宙の成り立ちと将来を想像しながら使わないといけないなぁとぼんやり思っている次第です。

さて、こんなことを考えていると無限ループに陥って、気がついたら「梅雨が明けてた!」なんてことになるんだろうなー。そしたら夏かー。そうだ!海に行こう。

Author: Shin Takeda
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