至極私的なご報告

March 07, 2008

3月10日月曜日。旅に出ます。10日間ほど。電波は確実に届きます。でも電話には出ないかも。もちろん、Macを持参します。でも、“ジャーン”って、キーCの音が聞けるかどうかは、今のところ不明。でもパソコン無しでは生きて行けない僕は、何がなんでも、1日に1回、“ジャーン”を聞かないと、萎えます。電波は届くので、AIR-EDGEを持参します。だからチャットとかも出来ます。でも折角の旅なので、本を読んだり、周りの景色を楽しんだりしないと、もったいないとも思います。旅の途中で、近況報告できたら、します。楽しみです。期待と不安です。不安と期待です。今検索したら、“期待と不安が”476,000件で、“不安と期待”が622,000件でした。みなさん、先ず先に、“不安”がくるようです。そんなことどうでも良いです。僕の場合、どちらもフィフティーフィフティーです。続きはまた今後。

そろそろ旅の話をしましょうか

March 12, 2008

そろそろ旅の話をしましょうか。旅に出たのが3月10日なので、今日を含めると丸3日。おもしろいのかつまらないのかわからないですが、話はいっぱいあります。今日までの出来事は、これ以下に、明日以降の出来事は明日以降の日付で書きたいと思います。よろしくおねがいします。

旅の目的地は、都内某大学病院。でも本当の目的地は自宅です。そう、家に帰るまでが遠足なのです。この物語は、私の人生初の大イベント。“入院、そして手術”を語るノンフィクションストーリーです。

3月10日

11:30。最後のタバコを思いっきり吸い込み、未練とともに、揉み消した。さあ、今から禁煙、そして、出発。入院前、なんと言っても最後に食べたいのはジャンクフード。自分にとってはそれほどジャンクではないが、モスバーガーのチーズバーガーとポテト、そしてジンジャーエールを平らげた。

贅沢にタクシーで出発。渋滞に巻き込まれつつ、予定5分前の12:35に到着。入院受付は長蛇の列。実際には部屋がいっぱいになっている状態で、列ではないのだが、23人待ちとか。ここは目黒二郎かよ。という突っ込みを入れたくなる。

西病棟。12階。6人部屋。お見舞いで、ドアの前のプレートを見ながら、友人や知人の名前を探したことはあるのだが、まさか自分の名前を探すことになるとは。変な気分だった。

ほどなくしてレントゲン。速攻終わったので、ぼんやりして夕食。聞くほど不味いわけではないけど、まぁ、良いものでもないかな。普通に“割とバランスのとれた献立のパーキングエリアの食事”っぽい感じ。

10時消灯。明日は6時起床。今日はここまで。

今日の内容: レントゲン

3月11日

食堂で夜ぼんやりしてたら、おじさんに声かけられた。その人の病状やら、他の人の病状やら、やたらと話してくれた。でもなんか為になった、というか、落ち着いた。他の人の闘病生活を見聞きすることも大切だね。病院って、たまに行くから変な気分になるけど、今はその中の1人だから、そこでしか知ることの出来ない経験をいっぱいしようと思う。

さて、早い消灯の夜です。昨日にも増して、いびきやら、咳やらがうるさい。でも不思議とイライラはしない。みんなも闘ってることを知っているからだね。

今日の内容: 採血 心電図 肺活量検査 MRI(造影剤有り) 手術内容の説明

3月12日

今日で入院3日目。不思議とタバコを吸いたくならない。周りの健康改善オーラがそうさせるのだろう。オレにとってのタバコは、中毒でもなく、依存症でもなく、ただの“クセ”だという結論に達した。さて、今日は病院の中を散策しまくった。カフェ、というかレストラン的なところがあったので、覘いてみたのだが、およそ落ち着ける雰囲気ではなかったので、入るのは止めにした。病室に閉じこもっているのは退屈なので、出来る限り広めで、出来れば外気に触れるところにいたい気分。

昨日の手術内容についての説明とともに、今日は全身麻酔についての説明。無痛分娩のときに行う注射と同じ種類の注射をして、その後点滴から麻酔を入れるそうだ。アッと言う間に寝てしまうらしい。ということで、この物語のクライマックスは、本人は覚えておりません。ちょうど飲み会のクライマックスに誰かが良いことを言っても翌日覚えていない...。というのと似ているような似ていないような。

今日の内容: 採血 全身麻酔についての説明

ホスピタルブレイク

March 13, 2008

前日夜、ダメもとで看護師さんにお願いした外出許可が下りた。まぁ、断られる理由も無いと言えば無いのだが。でもいざ「外出しても良いよ」と言われても、いくところが無い。仕方が無いので、明日に備え、自宅でゆっくりとシャワーを浴びることにする。と、そのついでに、自宅で今こうして、更新をしていたりする。

つづきはまた夜

そして夜

いやー、自宅でシャワー浴びて、どこ行こうかな〜なんて考えてたら、もう、行くところは1カ所しか無いわけですよ。会社ですよ。ここ数日トラブル続きで、ご迷惑をかけているので、“逆お見舞い”ですよ。“お見舞い返し”という言葉は聞いたことあるけどこれとは違うよな...。ま、それは良いとして、同僚が私にサプライズを用意してくれていたらしく、そんなときに私が訪れたので、逆にサプライズだったとか。そのサプライズとは、みんなが、本当にたくさんの人が、色紙に、私宛に、書いてくれたメッセージ。これにはビックリ。本音を言うと、涙が出そうになるくらいうれしかったけど、オレは泣かなかったね。がまんしたよ。私は今まで、“人から力を貰う”なんて、非科学的なことは信じていなかったわけです。本当に。でも、今日初めて、その意味がわかりました。凄いパワーをもらいました。これで明日に望めそうな気がしてきました。あとは、今日の夜、ベットの上で、そのパワーを実感しながらイメージトレーニングをするのみです。これはちょっと、感謝しても、しきれないくらいです。ありがとうございます。この事実が発覚してから、本当に、みんな、みんな、自分の周りに居る人は、素敵な人ばかりだと、感じています。これらの経験全て、今回のイベントを通して得た財産だと思います。

さて、クライマックス前夜の盛り上がりが最高潮に達したところで、今日はここまで。

闘病

March 17, 2008

さて、手術終了。さすがに、土日はMacを起動させる気になりませんでした。ここまで参ってしまうとは思いもよらず。ちょっと軽く考え過ぎだったのは反省。でもここまで考えてたらビビって平静を保ててなかったとも思います。それでは振り返ってみましょう。いろんな意味で、イタイ話も含まれておりますので、ご注意ください。

3月14日

いつも通り、6時起床。とうとうこの日がやって来たかと、覚悟を決めてぼんやりしていました。朝食も、水分も補給できず、そんな気分でもなかったのですが、看護師さんがやってきて、「前の手術が遅れているので、30分くらい遅くなるかもしれません」とのこと。どこの業界も“予定は予定”ということか。その後、点滴をしながら、またぼんやり。午後1時10分。お迎えが来ました。車いすに乗って。エレベーターは優先運転で。私のために、途中でエレベーターを下ろされた人がいることでしょう。そして5階の、小学校の教室のようにオペ室が並んでいるところへ。

出来る限り覚えていてやろう。なんて思いながら、オペ室の前で、看護師さんと待つこと約5分。普通にオペ室に入れば良いと思うんだが、なぜか窓のようなところに台が備え付けてあり、そこに仰向けに。するとその台がオペ室の方に自動的に移動して行き、これまた自動的に、オペ室のストレッチャーに体が移された。なぜかオペ室ではWithout Youが流れていた(誰のカバーかはわからないがもちろんバッドフィンガーでないことだけは確か)。先ずは体の左側を下にして寝転がり、体操座りのような格好で、背中に局所麻酔。この注射は思ったほど嫌な感じはしなかった。やっと慣れて来たかな。注射。その後、感覚のなくなった背中に、太めの針を使って、痛み止め用の管を入れる。検査のときもそうだったのだが、局所麻酔をしたところに、何らかの管を入れたりする作業が自分は苦手。痛みはそれほど無いのに、体の中に何か入ってくる感じがするからだ。浸食されそうな、というとエヴァンゲリオン的ではあるが、それが気持ち悪い。その後、再度仰向けに。酸素マスクをつけられる。さあそれでは的な雰囲気をにおわせつつ、「はいじゃあ、麻酔を入れてきますからねー」との声が。点滴の容器を入れ替えることで、麻酔は左腕から僕の体を浸食するのだ。1〜2秒ほどで、頭が一気にぼんやりしてきた。「もう麻酔入って来てますか?」と聞いた僕は「はい。もう少ししたら眠たくなりますよー。」という言葉を聞いた2秒後に、努力の甲斐無く、記憶を失っていた。

どこからか、声がする。のどの中には管が入っている。気持ち悪い。周りがうるさい。「終わりましたよー」「大丈夫ですかー」。その後のどの管を抜かれる。そして、たぶん何度目かの問いかけのあと、僕が発した言葉は「はい。大丈夫です。でも右下うるさいです。」。右下というのは、仰向けに寝転がっている僕の位置から見た右下。そこで先生方が何事か話をしていた。それがとてつもなくうるさく感じたのだ。そしたらオペ助手の方が「先生たちうるさいって言われてますよ」と、話をやめさせてくれた。いや、そんなつもりじゃないけど、でもうるさかったのは事実。ありがとう。

“もうろうとする意識の中”なんて言葉、実のところあまり使わないようなそんな状態のまま、ナースステーション横のちょっと広めの部屋に移動。本当の戦いはここからだった。

手術時間が1時間程度だったから、まだ夕方。手を突っ込んでグリグリやられているような脇腹の痛み。無理な姿勢のまま同じ体勢を続けていたような肩の痛み。それらの痛みが常に自分につきまとってくる。時折、眠っていたことに気がつくので、実際眠っていると思うのだが、気がつくと痛みがまだ襲ってくるので、記憶としては、常に痛い記憶しかない。もうろうとした状態のまま夜を迎える。

今日の内容: オペ

3月15日 病室からの眺め(夜の撮影ができなかったので昼の眺めです)

病室からの眺め(夜の撮影ができなかったので昼の眺めです)

看護師さんが様子を見に来るたびに「いま何時ですか?」と何度も聞いた。日付が変わる頃だろうか。居てもたっても居られなくなり。でもどうすることも出来ないのだが、なんとかこの痛みを紛らわすことは出来ないものかと、病室横のカーテンを開けてもらった。時折、新宿オークタワーのエレベーターが上下する程度の変化しか無いことにガックリ。でもいまの自分にはそれでも無いよりはましだった。まだ水も飲めない。寝返りも打てない。若干膝を曲げたり延ばしたりできる程度。うめいても、痛いと言っても仕方がないのだが「うー...」と言って気を紛らわすしか無かった。

このくだりを100回くらい繰り返した後。

ふと気がついて、窓を眺めると、空が白んでいた。朝だ。なぜか自分は朝が来れば何とかなると思っていた。看護師さんも「もうすぐ朝ですね、もう少ししたら先生来ますからね」と言ってくれた。日付が変わるころから「あと6時間くらいですね」「あと3時間くらいですね」と、時間を聞くたびにカウントダウンをしてくれる看護師さん。どうして君にはオレの気持ちがわかるんだい? 朝になった。

先生が来て、いろいろ説明してくれて、水を飲ませてくれて、一部、管を撤去してくれて。でも痛みは和らがない。脇腹はえぐられ続けている。でも「手術は問題なく終了。腫瘍も良性でした」の言葉に、痛いながらも気持ちだけは和らいだ。

午後、正確な時間は覚えていないが、ドレーンが撤去された。脇腹をえぐっていたアレを撤去したのだ。まぁ、撤去しても痛いものは痛いのだが、精神的にはどれだけスッキリしたことか。その後ゆっくり歩いて元の病室へ。携帯へ転送されているメールを一通りチェックだけして、手術翌日の夜を迎える。看護師さんに言われたように、手術当日とは比べ物にならないくらい、快適。でも痛いものは痛い。でもまだまし。という状態のまま眠りについた。

今日の内容: 採血 レントゲン お小水用管撤去 傷口からの管(ドレーン)撤去

3月16日

日曜日。思ったよりは調子が良いので、友人のIDETCHに電話をして病院へ来てもらうことにした。もちろん写真を撮ってもらうためだ。この貴重な体験と、貴重なシチュエーションの中に居る自分を、フィルムに残すのだ。午後1時30分ころからシュート開始。3〜4カット撮り終え、2人とも満足して今日の撮影終了。おつかれさまでした。義理の母と弟がお見舞いに来てくれたので面会。どうでも良い話しかしていないのだが、何かしていれば、気が晴れるので、痛みも忘れる。でもふと気を抜くと痛みがまたぶり返す。右腕が思うように使えない。難儀だ。でも目に見えて回復していることは確か。

先生より、予定通り火曜日退院と伝えられる。うれしいような、怖いような。痛みはまだ全然普通にあるんですけど...。

今日の内容: 採血 レントゲン 背中の痛み止め管撤去

3月17日

いつものように6時に起床。8時30分に朝食。12時30分に昼食。18時30分に夕食。食事が非常に楽しみになっている。それと、以外にも、この規則正しい生活に慣れ始めている。規則正しい生活って、良いと思う。ただし、規則正しい仕事が出来ればの話。9日間良い経験をさせてもらった。

夕方、どうしてもお見舞いに来たいと言っていただいた、仕事上の友人2名が来院。イタイ話で盛り上がりました。久しぶりにシャワーを浴びておいて良かった。防水テープ恐るべし。

今日はいろんなことの合間合間でこのコラムを書き、有意義な1日となりました。来週、受診のスケジュールが入りました。まだもうしばらく、この病院とはつきあうことになります。でも本当に素晴らしい病院だった。もちろん、入院や手術なんて、2度としたくないが、本当に良い場所で治療に専念できたことを幸せに思います。明日は10時に退院予定。最後の朝食を楽しんで、ゆっくり片付けて、看護師のみなさんにご挨拶をして、帰宅です。最後の夜は、ゆっくりお休みします。おやすみなさい。

今日の内容: 採血 レントゲン 点滴用管撤去

医師と患者と看護師と

March 18, 2008

朝4時ころ。息苦しさと、胸の痛みを伴って起床。よく映画で、終わったと思ったら、まだ悪者生きてた...的な展開だが、特に問題はないみたい。でもこれからもしばらくは痛みを伴うので、可能な限り安静に。ということで、朝食を食べ、たまに話をする自分の祖父くらいの患者さんと別れの挨拶をして、そして看護師さんにも挨拶を。ちょうど良いことに、手術直前と、直後に看護をしていただいた看護師さんが居たので、しっかりと挨拶できました。一番辛いときに一緒に居てくれるというのは、たとえそれが仕事だとしても、こちらにとってはありがたい話です。

清算を済ませ、喜び勇んで院外へ。天気も良かったので少し歩いてからタクシーを拾おうと歩き出したが、胸の痛みにあえなく断念。すぐにタクシーを拾いました。久しぶりの我が家。我が家が一番。小腹が空いたので、昼はランチをやっている行きつけの立ち飲み屋さんへ。挨拶がてらランチをいただきました。すごい心配してくれてて、そして喜んでくれた。その後自宅へ戻って仕事再開。本格再開はいましばらくお待ち願います。

話は変わりますが、昔、弊社代表が「クリエイティブディレクターは主治医だ」と言ったことがありました。今回の経験を通して、私の立場に置き換えると、以下のようになります。

「クリエイティブディレクター」→「教授」
「ディレクター」→「主治医」
「デザイナ/プログラマ」など→「執刀医/麻酔科医」など
「アシスタントディレクター」→「看護師」
「クライアント」→「患者」

先ずはじめにCTの結果を見て、教授が疑いのある所見を主治医に告げ、主治医の判断で、各種検査が始まりました。これはまさに、クライアントのオリエンから業界分析、競合分析、企画立案などを行うフェーズ。

その後、教授や主治医から、病状の説明や、手術内容を説明されました。これは、クライアントが、提案を受けているフェーズと同じです。手術の方法や、所見の結果に文句があれば、調整してもらったり、セカンドオピニオンを受けたりも出来る。私の場合は、何事も無かったですが...。

方針が決まれば、ディレクターはデザイナやプログラマに作業内容を伝え、的確に、検査など手術の準備、じゃなくて制作準備を進めてもらいます。私の場合、この辺りから入院をしたのですが、私が行わなければならいなことや注意点など、アシスタントディレクターたる、看護師の方々が、親切丁寧に説明をしてくれました。

そして、手術。制作開始です。それぞれ専門の医師が自分に与えられた仕事を、最大限の力を発揮して行います。その間、私は全身麻酔で寝ているだけ。クライアントも、制作過程はほぼ知りません。

手術成功。サイト完成。引き続き、私の体は、時折主治医に面倒をみてもらいながら、徐々に回復していくことでしょう。

なんて、折角このコラムで病気の話をしているので、強引ながら、私の仕事と絡めさせていただきました。

病名は“心膜嚢胞”。“縦隔腫瘍”の一種だそうです。この病名を聞いてからウェブサイトでいろいろ探しましたが、それほど詳しい情報が見つからなかったので、闘病日記的なものがあると良いかなと思い、ここで発表する決心に至ったわけでございます。さて、来週は検査。まだ、もうちょっと続くよ。

痛みは徐々に緩和だが

March 24, 2008

手術をしてから1週間が経った。そして、退院してから初めての土日を過ごした。土曜日は非常に天気がよく、体調も良かったので、簡単にバイクを洗ったり、ガソリンを入れたり、手術前のような休日を過ごした。日曜日も同じように、有意義な休日を過ごしたのだが、夜になって、少し傷口が痛みだした。明日は雨だから? 本当なのか? 低気圧の影響? 寝ているときなど、体勢によっては、傷口が引っ張られて痛い。気が抜けないけど、日増しに良くなっているのは継続中。

遠足のおわり

April 04, 2008

1週間以上ぶり、ということもあって、なぜか懐かしさすら覚える待合室。時折、入院前の検査でお世話になった看護師さんとすれ違い、2ヶ月ほど前のことなのに遠い昔のような、つい最近のような、不思議な気分に。主治医ではないがお世話になった先生と会い「調子はどうですか?」とフランクに声をかけられる。「ばっちりです」とフランクなやり取り。その後主治医の先生に受診で、これまた問題無し。すごい難しい話(病気の専門的な解説)をしてくれているのだがさっぱりわからず。と思っていたら「要は何も問題ないってことです」と主治医の先生。病理の結果、悪性のものはいっさい見つかりませんでしたと。やっと終わった。これで本当に終わった感じがした。さすがに涙はこみ上げてこないが、“終わった”という言葉がピッタリな気がする。半年後の胸部CT検査なんて健康診断のようなもの。本当に貴重な体験をした。終わった。

あとがき

そもそもこの病気は、2007年12月に行った健康診断で発見されました。年に1回行っているPL東京健康管理センターの人間ドック。しかも、オプションで胸部CTを受けなければ発覚しなかったという状況でした。普通のレントゲンだと、前面からなので、異常は見つけられなかったとか。おそらく今回このオプション検査を受けていなくても、特に日常生活に支障はなかったでしょう。しかし、何事も早期発見、そして早期に認識し判断することが重要だと思います。今回のこんな手術は心の準備も必要ですし。

自分がこんな状態になると、やっぱりネットでいろいろ調べるわけです。でも“縦隔腫瘍”という病気については、漠然としかわからないし、そのときは“心膜嚢胞”なんて言葉は知らないから、見つけることだってできない。そんな中、ほんの少しだけど、この病気にかかった人のページがあって、それを見て安心している自分がいた訳です。だから今回、発覚してしばらくしてからだけど、この出来事をコラムに書いておこうと思ったのです。それがきっかけ。どこぞの誰とも知らない人が、これを見て、少しでも安心してもらえればと。もちろん人によって全然症状は違うから何とも言えないけど、だいたいの感じをわかっているのとわかっていないとでは気持ちが全然違うからね。少しでも見知らぬ誰かのためになればと思います。それこそがネットの良いところじゃないかと。強く、強く思います。

最後になりましたが、PL東京健康管理センターのみなさん。東京医科大学病院の教授/先生/看護師のみなさん。お仕事でお世話になっているみなさん。励ましてくれた友人のみなさん。そして何よりも一番そばで見守ってくれた家族に、感謝します。ほんとうにありがとうございました。

遠足の思い出

October 21, 2008

約半年ぶり。やっぱりいろんなことを思い出しますね。と、思い出に浸っている暇もない時間に到着したので、即行受付を済ませ“画像診断部”へ。10分ほど待った後、名前を呼ばれた。なんてことないんだけど、なんだか嫌いな造影剤を使っての検査。点滴みたくして、体に入れるのですが、その結果体が暖かくなるその感覚が気持ち悪いのです。検査自体は10〜20分程度で終了。来週検査結果を聞きに行くのです。

東京医科大学病院外観
Author: Shin Takeda
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